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明治初年の外交 鳥海 靖・松尾正人・小風秀雅編『日本近現代史事典』(東京堂出版、1999年8月)、「開国和親の外交」42−45頁を執筆する準備過程で作成したものです。内容的には、『日本外交年表並主要文書』上巻、原書房、復刻、1965年から抄出にすぎません。
     
西暦 和暦 内容
1868年1月1日 慶応3年12月9日 王政復古宣言せられる
1868年1月10日 慶応3年12月15日 政権返上後、徳川慶喜6カ国代表(英、仏、米、蘭、伊、普〜以下同じ)を大坂城に引見し、外国交際の責任が当方にあることを宣言
1868年1月27日 慶応4年1月3日 幕府老中酒井忠淳各国代表に対し、軍艦兵器を薩摩藩に売らないことを要請する
1868年2月2日 慶応4年1月9日 外国事務総裁・外国事務取調掛を設立(総裁、嘉彰親王)
1868年2月4日 慶応4年1月11日 神戸事件(備前事件)発生
1868年2月8日 慶応4年1月15日 勅使東久世通禧が各国代表と会見、王政復古を報じ国書を交付。新政府、最初の公式外交会談。同日、外国交際を万国公法によりおこなう旨を布告
1868年2月10日 慶応4年1月17日 三職分科制により外国事務総督及び外国事務掛を設置(総督、晃親王)
1868年2月13日 慶応4年1月20日 政府、幕府締結の条約遵守確認を各国に通告
1868年2月14日 慶応4年1月21日 政府、徳川慶喜征討を理由として各国に局外中立を要請
1868年2月18日 慶応4年1月25日 6カ国代表、局外中立を布告する
1868年2月25日 慶応4年2月3日 外国事務掛を外国事務局と改める(外国事務局督・晃親王)
1868年3月8日 慶応4年2月15日 土佐藩兵、堺でフランス軍艦デュプレクス号から上陸しようとする水兵10数名を殺害(堺事件)
1868年3月10日 慶応4年2月17日 政府、各国代表の参内を布告、同時に外国和親に関する諭告を示す
1868年3月12日 慶応4年2月19日 フランス公使、堺事件に対する要求5ヶ条を提示、政府3月15日(2月22日)応諾
1868年3月16日 慶応4年2月23日 堺事件関係者土佐藩士20名処刑、フランス公使11名にて助命嘆願
1868年3月23日 慶応4年2月30日 フランス公使ロッシュ、オランダ代理公使ポルスブルック参内・謁見、イギリス公使パークス凶徒に襲撃され謁見できず
1868年3月26日 慶応4年3月3日 イギリス公使パークス参内・謁見
1868年4月1日 慶応4年3月9日 天皇、三職への蝦夷地開拓を諮詢
1868年4月7日 慶応4年3月15日 キリスト教禁制、および、外国人に対する暴行禁止を布告
1868年4月15日 慶応4年3月23日 対馬藩主宗義達を朝鮮通交事務取扱とする
1868年4月27日 慶応4年4月5日 長崎裁判所、在留外国人雇用の清国人の日本人に対する犯罪は、国内法をもって処すると決定
1868年5月12日 慶応4年4月20日 神奈川裁判所、旧幕府神奈川奉行の外交事務を接収
1868年5月12日 慶応4年4月20日 在長崎各国領事、キリスト教徒弾圧に抗議
1868年5月22日 慶応4年閏4月1日 大坂東本願寺において、イギリス公使パークス謁見・信任状提出(明治政府承認の最初)
1868年5月24日 慶応4年閏4月3日 アメリカ、プロシア両公使、キリスト教禁制に抗議
1868年5月25日 慶応4年閏4月4日 政府、改めてキリスト教禁制を布告
1868年6月7日 慶応4年閏4月17日 浦上キリスト教徒約4000人を34藩預とする旨通達
1868年6月11日 慶応4年閏4月21日 外国事務局を外国官と改称(外国官知事・伊達宗城)
1868年6月13日 慶応4年閏4月23日 政府、各国代表に局外中立廃止を要求(その後、数度交渉)
1868年6月25日 慶応4年5月6日 東久世通禧神奈川裁判所総督、江戸運上所において幕府から11カ国条約書を受領する
1868年7月7日 慶応4年5月18日 政府、各国代表に外国人の新潟通行禁止を要請
1868年7月10日 慶応4年5月21日 政府、キリスト教徒100余名の山口、福山、津和野3藩分預を命令
1868年9月1日 慶応4年7月15日 大坂開市場を開港場と改める
1868年9月23日 慶応4年8月8日 徳川亀之助、外交に関与しない旨を各国代表に通告
1868年11月11日 明治元年9月27日 政府、スウェーデン・ノルウェーと修好通商航海条約を調印(実施、明治2年5月1日)
1868年11月12日 明治元年9月28日 政府、スペインと修好通商航海条約を調印(実施、明治2年5月1日)
1869年1月1日 明治元年11月19日 新潟・夷港開港および東京鉄砲洲開市
1869年1月23日 明治元年12月11日 対馬藩家老樋口鉄四郎ら新政府成立通告のため朝鮮に出発(朝鮮側、通告受理せず)
1869年2月4日 明治元年12月23日 外国官副知事東久世通禧、条約改正の意向を各国代表に通告(明治2年12月10日、商議延期を通告)
1869年2月9日 明治元年12月28日 6カ国代表、局外中立廃止を布告
1869年2月20日 明治2年1月10日 政府、北ドイツ連邦との修好通商航海条約に調印(即日実施、明治2年9月11日批准書交換)
1869年2月20日 明治2年1月10日 銅輸出解禁に関して各国代表に照会
1869年3月15日 明治2年2月3日 条約改正の審議を外国官に命じる
1869年6月1日 明治2年4月21日 英、伊、仏、米、独と茶・生糸増税約書に調印(未実施)
1869年6月2日 明治2年4月22日 政府、茶・生糸増税約書の実施延期を代償に、下関賠償金残額支払いの3年間延期を、英・仏・蘭・米4カ国に要請(明治3年2月6日、4カ国承諾)
1869年6月27日 明治2年5月18日 函館・榎本軍降伏
1869年8月1日 明治2年6月24日 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議しなかったため兵営陣地を構築
1869年8月3日 明治2年6月26日 外国官知事・沢宜嘉
1869年8月10日 明治2年7月3日 外交は自主独立を建前とすべきの朝旨を知藩事に諭し、緩急国威を辱めないことを期させる
1869年8月15日 明治2年7月8日 外務卿 沢宜嘉、外国官を廃止して外務省を設置
1869年9月6日 明治2年8月1日 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告
1869年9月16日 明治2年8月11日 外務大丞丸山作楽、樺太出張
1869年9月20日 明治2年8月15日 蝦夷を改めて北海道と称する
1869年10月17日 明治2年9月13日 政府、宗家に朝鮮への使節派遣中止を指令(同月、朝鮮政府、王政復古を報じた宗義達の書簡を非難・差し返す)
1869年10月18日 明治2年9月14日 政府、オーストリア・ハンガリーとの修好通商航海条約に調印(イギリス公使パークスの仲介、即日実施、明治4年12月3日批准書交換)
1869年11月11日 明治2年10月8日 石炭輸出に関して英・仏・米・独代表に照会
1870年1月7日 明治2年12月6日 外務省出仕佐田白芽らを朝鮮派遣(日本の政権交代通告に関して交渉するが失敗)
1870年1月11日 明治2年12月10日 各国に対し条約改正交渉は所定の期日(明治5年7月1日)をもって商議する旨を通告
1870年1月19日 明治2年12月18日 各国代表、浦上キリスト教徒の各藩移送について抗議
1870年1月25日 明治2年12月24日 樺太函泊にて丸山作楽外務大丞ら、ロシア陸軍中佐デプレラドウィッチらと日露関係調整交渉をおこなうが容易に妥結せず
1870年2月22日 明治3年1月22日 樺太函泊にてロシア兵の埠頭工事を阻止しようとして、川島外務権大禄らロシア兵に逮捕される(翌日釈放)
1870年3月15日 明治3年2月14日 アメリカ公使デ・ロングに樺太国境問題に関してアメリカ合衆国の斡旋を依頼する(明治3年11月4日に取りやめ)
1870年3月25日 明治3年2月25日 政府、各国代表に府藩県への債権貸付禁止を通告
1870年7月27日 明治3年6月29日 外務大丞柳原前光を通商交渉の為に清国に派遣
1870年10月12日 明治3年9月18日 外務権小丞吉岡弘毅らを朝鮮に派遣(外務卿の書簡を提出するも、朝鮮側に拒絶される)
1870年10月13日 明治3年9月19日 清国、日清両国は改めて条約締結の必要なし旨を外務卿に通告(明治3年9月21日、柳原前光特使、天津でこれを受領)
1870年11月10日 明治3年10月17日 沢宜嘉外務卿、英・仏公使と会談し、両国の横浜駐屯軍撤退を要求、その後もたびたび交渉
1871年5月17日 明治4年3月28日 釜山にて吉岡弘毅外務権小丞、朝鮮側使節と初めて交渉
1871年6月14日 明治4年4月27日 大蔵卿伊達宗城を欽差全権大臣とし清国に派遣、通商条約締結交渉にあたらせる
1871年6月27日 明治4年5月10日 日清攻守同盟締結の風説は事実無根である旨、外務省声明
1871年6月30日 明治4年6月13日 参議副島種臣をロシア・ポッシェット湾に派遣、樺太国境確定交渉をおこなわせる(交渉延期となり帰国)
1871年6月30日 明治4年6月13日 各国代表に条約改正の意向を通告
1871年8月29日 明治4年7月14日 外務卿・岩倉具視
1871年9月13日 明治4年7月29日 宗重正(旧対馬藩主)を外務大丞に任命し、朝鮮出張を命じる
1871年11月20日 明治4年10月8日 特命全権大使岩倉具視以下の使節を欧米に派遣(岩倉使節)
1871年11月26日 明治4年10月14日 政府、各国代表に条約改正商議開始期限を岩倉使節帰国まで延期すると通告
1871年12月15日 明治4年11月4日 外務卿・副島種臣