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 近代日本史研究とイギリス議会資料ー明治維新史研究を中心にー
                                 鵜飼政志
 T 戦前における明治維新史研究と日本関係イギリス議会資料の価値
 イギリス近代史において、歴代の政府は自らの施行する内外政策の正当性を承認させるためや情報開示のために、数多くの記録や報告書を議会に提出した。これがイギリス議会資料(以下、議会資料と略)である。
 こうした議会資料は、19世紀以降、民間に頒布もされたため、政府や議会内にとどまらず広く利用されることになった。議会資料の記す内容は、イギリス国内ばかりか、イギリスと関係する全世界の国々や地域を包括しており、近代世界そのものの歴史資料となっている*1。もちろん日本についても例外ではない。議会資料は、今日に至る日英の歴史のあり様を物語る重要記録である。
 そのなかでも、正式な国交関係が樹立され、初代駐日代表としてラザフォード・オールコック(Sir Rutherford Alcock)が赴任した1859年以降の約20年間、つまり日本が明治維新と呼ばれる近代国家への大転換を経験した時期については、特に外交資料に留まらず、各年度ごとの対日通商報告を始めとして、日本国内の諸産業調査報告、日本国内の地誌や風俗の調査報告、さらには日本の政治経済制度に関する調査報告など、数多くの資料が、政府内部で編纂された後、概ね翌年度の議会に提出されている*2。つまり、こうした報告書類は、同時代資料として第一級の価値を有するものといえる。
 そのため日本関係議会資料は、明治維新以降の日本の現状分析資料として頻繁に利用され、イギリス政府による対日外交・貿易の政策決定や、外国人のみた日本の社会ならびに文化理解促進に大きな影響を与え続けたほか(後述)、日本国内でも、明治政府が外交・貿易政策立案のための参考資料として翻訳していた*3
 そしていうまでもなく、日本国内の明治維新史研究においても、日本関係議会資料は、重要な対外関係史料として早くから利用されてきた。外交史研究の場合、特に幕末期の外交記録について、日本関係議会資料の内容には、日本側の史料では把握できない事実が数多く記されていたからである。
 幕末期の代表的な外交記録としては、明治年間に外務省によって編纂された『続通信全覧』*4を挙げることができるが、議会資料にはしばしば『続通信全覧』には記されていない事実や交渉資料、また『続通信全覧』よりもはるかに詳細な外交会談の内容を記す文書などが収められていた。
 一例を挙げると、『続通信全覧』は、幕府外交の記録である。そのため、文久3(1863)年の薩英戦争や、翌元治元(1864)年の下関戦争など、幕府以外の諸藩、特に薩長などとイギリスを始めとした外国側との交渉資料はほとんど収録されていない。後に、末松謙澄『防長回天史』全6編12冊(特に第4編、第5編)[末松 1911-20]や公爵島津家編輯所編『薩藩海軍史』全3巻(特に中巻)[島津家編輯所 1928-29]のような諸藩関係の資料集が編纂され、いくつか藩側による外交交渉記録が所収されることはあった。しかし、それはなお断片的なものであったし、そもそもイギリスを始めとした外国側の対日政策の詳細を知ることはできなかった。
 また外国側対日政策の詳細を埋めるものとしては、早くからイギリス外交官による、自らの本国あて報告書類の草稿、そして部分的な議会資料の記述などをもとにした回想緑や日本史関係の著作物があった。初代駐日公使オールコックによる赴任後3年間の回想録であるCapital of Tycoon [Alcock 1863]*5や、明治5(1872)年前後に駐日代理公使を勤めたフランシス・オッティウェル・アダムス(Francis Ottiwell Adams)の執筆した日本通史であるThe History of Japan[Adams 1874-75]などがこれに該当する*6。しかしこれらも、外国側対日政策の詳細を知るため研究素材としてはなお部分的なものにすぎなかった。
 議会資料は、こうした不明部分を埋める史料として注目された。そして、早くは櫻木章「下關砲撃の顛末」[櫻木1904-05]のような研究が、日本側資料の疎漏を埋めるものとして、議会資料を積極的に利用した。
 戦前の幕末外交史研究において、議会資料を積極的に利用した明治維新史研究者の一人として、大塚武松氏を挙げることができよう。国内では史学者による外交史研究の創始として知られる大塚氏の業績は、現在からすれば、同氏がフランスに留学し、筆写して持ち帰ったフランス外務省記録をもとにした、フランス政府な駐日フランス公使レオン・ロッシュ(Leon Roche)の対日政策に関する研究「佛國公使レオン・ロッシュの政策及び行動」[大塚 1934a]などのほうが有名であろう。しかし、大塚氏の業績には、日本側資料だけでは知りえない、下関戦争前後におけるイギリス主導による外国側の対日政策立案過程を究明した「下關事件に對する英・佛兩國の態度」[大塚 1933]、「下關砲撃に對する英・佛・米・蘭四國公使の聯盟」[大塚 1934b]などがある。これらは議会資料のほか、フランス外務省文書などを駆使した手堅い基礎的実証研究であった*7
 大塚氏の業績は、外務省における幕末外交文書編纂業務、そして戦前の日本政府による修史事業の一大集大成である『維新史』全6巻[文部省維新史料編纂会1939-44]および同『概観維新史』[文部省維新史料編纂会1940]を編纂した文部省維新史料編纂会編纂官としての業務から派生したものである。文部省維新史料編纂会は、『維新史料綱要』全10巻*8[文部省維新史料編纂会 1937-40]を刊行し、前二書編纂の基礎をなす編年体の綱文とそれに対する典拠資料を記しているが、対外関係の記述について数多く議会資料を典拠としていた。そして、『維新史』や『概観維新史』の対外関係に関する記述、特に初代駐日公使タウンセンド・ハリス(Townsend Harris)が帰国し、イギリスが対日外交に関して名実ともに中心的位置を占めていった文久元(1861)年以降の、外国側の対日政策に関する記述には(特に下関戦争前後)、前述した大塚氏の諸論文の記述がほぼ要約的なかたちで転載されていた。『維新史』および『概観維新史』は、作為的な要素が強い皇国史観を絶対的支柱とした太平洋戦争中の編纂物である。そういう作為的歴史編纂物にもかかわらず、執筆にあたった当時の編纂官たちは、史実に忠実な客観的記述に徹することにより、時流に流されない学問的姿勢を貫いたため、今日においても、明治維新史研究における必読文献としての価値を保ち続けている。議会資料のような、当時の敵国の政府関係資料が信頼すべき国家修史事業に利用されていたことは、こうした事実を裏付けるものであり、きわめて興味深いといえよう*9
 貿易史研究でも、日本関係議会資料、特に駐日イギリス領事通商報告(Commercial Report from Her Majesty's Consul)、いわゆるイギリス領事報告*10 が幕末貿易の統計資料として盛んに利用されてきた。
 幕末の貿易額については、日本側に体系的かつ正確な統計資料が体系的な形で残存せず、残存していても正確な統計処理が施されていないうえ、洋銀の減価による輸出入品の申告価格が過小評価されていないことなどもあって、信憑性に疑問が残されている。また1868(明治元)年以降は、連続した日本側貿易統計が利用可能[東洋経済新報社 1935など]とはいえ、税関業務が大蔵省管轄となる1872(明治4)年頃までは、監督官庁の度重なる変更(裁判所や各地府県、外務省などが管轄)もあり、統計作成方法が不確定であり、また税関官吏も未熟練であったため、やはり正確性に疑問が残されている[杉山 1989: 192; Sugiyama 1988: 44 - 48; 横浜税関百二十年史編纂委員会 1981:140-142]。
 イギリス領事報告も、必要に応じて在日外国人商業会議所の統計や有力外国商人の私的統計でもって貿易額に修正を施しているとはいえ、基本的に日本側税関の統計を基礎としている点で完全に正確なものではない(統計方法も不明確)。また、1859(安政6)年の貿易統計を欠いていたり、1866(慶応2)年の横浜貿易ついては、同年の横浜大火によるデータ焼失を理由に部分的な統計提示にとどまっているなどいくつかの不備があり、決して体系的なものとはいえない。だが、日本側の統計に比べれば、方法が不明確とはいえ、統計学的処理が施されているという点で、相対的に信頼がおけるという意味で、早くから研究に利用されてきたのである*11
 戦前における、幕末貿易の数量的研究として代表的なものとして、山口和雄『幕末貿易史研究』[山口 1943]および石井孝『幕末貿易史の研究』[石井 (孝) 1944]なを挙げることができる。この2つの研究(後者のほうがより数量的研究)は、いずれもそれまでの幕末貿易額に関する研究史が提示したデータを概観しながら、結局のところ、前述したような不備があるにせよ、イギリス領事報告が最も信頼に足る資料という結論に達していた[山口 1943: 13-16; 石井 (孝)1944: 39-41など]。そして、イギリス領事報告の貿易統計を基本とし、これに日本側の資料などを突き合わせて、体系的な幕末貿易額の提示が試みられている。ただし、幕末関係だけとはいえ、イギリス領事報告を網羅的に利用することだけでも容易なことではなかった当時の実状を考えれば、イギリス領事報告提示の貿易統計が包括していた前述の問題点是正や統計上の空白を埋めるまでにはいたっていない。そうした動きは、戦後におけるイギリス外務省文書などの利用による新たな成果を待たなければならなかった(後述)。
 
 U イギリス外務省文書の性格
 貿易史研究におけるイギリス領事報告の利用例を除けば、戦前における日本関係議会資料の利用例に明らかなように、明治維新史(日本史)研究者の間では、日本関係議会資料に記されている事実のみが注目されてきた。しかもそれは、明治維新という日本の国家体制変動を外部から促すことになった直接的要因、つまり諸外国の対日政策の詳細を究明する素材として利用されてきたといえる。
 では、この傾向が戦後においていかに変遷していったのか。しかし、この点について述べるまえに、日本関係議会資料を構成するイギリス外務省など政府文書の性格について説明を加えなければならない。なぜなら、日本関係議会資料は編纂物だからである。そこで、イギリス外務省文書、しかも本稿の内容と合致する19世紀後半の状況を例にしながら、簡単に説明しておく*12
 @現地発公信
 【領事報告】
 日本史研究者の間では、各貿易港などに駐在するイギリス領事が、駐日外交使節の代表(総領事、その後公使)に宛て年一度提出する、貿易統計を含んだ通商報告、すなわち、いわゆるイギリス領事報告と理解されがちである。しかし正確には、領事が使節の代表に報告する現地での業務報告(居留民保護や日本側現地官吏との折衝など)や、現地での広範な収集情報報告の総称を指す。
 19世紀中、イギリス以外の欧米諸国は、アジアのような遠隔地である場合は特に貿易商人などの民間人に領事職を委嘱することが多かった。これに対しイギリス外務省は、領事を専門の職業として雇用し、例えばアジアといった特定の地域のみに従事させていた。そして、特に19世紀後半からは、日本など、派遣予定地域で活動に必要な知識を修得させるべきプログラムを組み、訓練を施した後、領事の任務にあたらせていた。そのため、イギリス領事報告が伝える情報や分析(自国権益保護という範囲においての情報や分析ではあったが)は、正確な現地の知識を背景としている点で客観性が保たれており、信頼すべきものとなっている。
 【駐日代表の本国宛て公信】
 駐日代表は、領事報告のなかから重要と思われるもの、さらに日本側外交機関との折衝記録などを、自己の分析を交えながら定期的に報告している。
 また各領事から提出された通商報告は、駐日代表がとりまてめて再度編纂し直した後、本国外務省に提出している。
 第2代駐日公使パークス(Sir Harry Smith Parkes)は、事後の対日外交に役立てるべく、公使館員たちに日本語および日本文化の学習を奨励していた。そしてさらに、日本国内の政情や産業・文化などに関する特定のテーマを部下の公使館員に調査させ、それを報告書として本国に報告していた。こうした調査報告書のうち、日本国内の生糸、茶、製紙産業や鉱山資源に関するものが、外務省を通じてイギリス議会に提出されている*13。これらの報告書は、学術的な分析視点が加えられていることで信頼でき、また内容も詳細であることから、いずれも明治維新期における外国人が見た日本国内の風俗・文化調査報告として興味深い。
 こうした駐日公使館員による日本文化学習・調査活動が、イギリス対日外交政策の立案に多大な役割を果たしたことはいうまでもないが、同時に、アーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow)やウィリアム・アストン(William Gellard Aston)などの公使館員を著名な日本学研究者へと成長へとさせていった[ディきンズ 1984: 127-128, 348-350参照]。さらに、議会に提出された報告書の内容は、パークス自らも長年会長を務めた、日本文化研究機関である日本アジア協会(1872年、横浜で日本居留外国人有志によって設立された民間機関)の研究例会でしばしば議論され、外国人による日本文化研究に貢献していった*14
 A本国発公信
 【現地あて訓令】
 外務大臣は、現地から報告された公信や政府内部での決定事項をもとに、イギリス政府としてとるべき訓令を現地の代表や領事に宛て発信している。ただし発信数は、状況にもよるが、必ずしも頻繁なものでなく、通信事情を考慮して事後承諾的な訓令も多い。電信が本格的に利用されるのは19世紀末のことであり、それまでは主として船便により、2ヶ月半から3ヶ月程度の通信時間を必要としていたためである。
 【本国情報や関係第三国情報の転送】
 外務大臣は、海軍省や陸軍省など他政府機関との日本関係通信書類や、対日情勢に関する国内世論の動向を、日本駐在使節に転送している。また、対日問題に関して、アメリカやフランスといった第三国の国内情報や政府の動向を、現地駐在使節に調査させ、必要に応じて日本駐在使節に転送している。
 こういった転送情報は、時間差があるとはいえ、現地駐在使節による対日外交の展開に多大な便宜となったことはいうまでもない。もちろん転送情報の質は、場合によってさまざまであるが、19世紀の対日関係に関する限り、その量においては圧倒的に他国の外交機関が自国駐日外交団に伝えたものを凌駕している。
 Bその他の文書群
 このほかの文書群として、「半公信」と呼ばれる私的文書、および「極秘文書」とでも呼ぶべき印刷物がある。この2つの文書群は、必ずしも議会資料に結びつくものではないが、いずれも重要な資料群であるので、詳述しておく。
 【半公信(Semi-Official Letter)】
 本国往復公信は公文書扱いとなるため、慎重さを要する外交交渉には不向きな要素が強い。そのため、本国往復公信には単に差し障りのない事実経過を記し、その一方で内容の公開義務がない私文書を公信に添付することで、通信内容を議会はおろか政府内部にも伏せておき、在外機関の代表と外務大臣(または外務事務次官)との意志疎通を円滑にしようとすることが頻繁におこなわれた。こうした公信に添付される私文書は、セミオフィシャルな公文書ということで半公信と呼ばれた*15
 半公信に記される内容は、きわめて重要な内容である場合が多いが、私文書扱いである以上、公文書として保管されないし、関係者の遺族などが公共機関に寄贈・委託でもしない限り研究のために公開されることはない。ただ、日本の明治維新期に首相や外相を歴任したジョン・ラッセル*16 や、19世紀中葉に長く首席外務事務次官を勤めたエドマンド・ハモンドの私蔵文書*17 は、遺族の寄贈によりロンドンの国立公文書館(Public Record Office)において閲覧することができる。この2つの私文書群には、駐日公使であったオールコックやパークスとの通信書簡が数多く含まれており、きわめて重要資料となっている*18
 【政府部内秘資料(Confidential Print)】
 外務省は、内部資料として、必要が生じた場合、本国往復公信のなかから問題別に資料集を作成している。
 この資料集は、Confidential PrintまたはConfidential Papersと呼ばれ、「極秘文書」と和訳される。しかし、文書の内容が極秘というよりも、印刷されたことが極秘という意味であり、厳密にいえば、内部資料用に印刷された公開を憚る資料集、つまり「部内秘資料集」または「部内秘文書」とでも訳すべきものである。
 「極秘文書」は、どの程度作成されたのか正確には把握できないが、膨大な数が残存している。日本関係の場合も、近年のものに至るまで膨大な数が残存している[楠家 1989: 243-244,548参照]。例えば、幕末の外国人殺傷対策問題や明治初年の条約改正問題などの関係往復文書が余すとこなく問題別に編纂されている。近年では、「極秘文書」の復刻版も刊行されており[Bourne and Watt: 1989-97]、議会資料との併読が可能である。「極秘文書」は、外務省文書の原文をそのままタイプ化して印刷したものなので、議会資料のように文書が割愛されていることもなく便利な資料集といえる。
 
 V 明治維新関係議会資料とその問題点
 以上が、日本関係外務省文書の概要である*19。そして、半公信や「極秘文書」を除いた往復公信類を中心に、議会に提出すべき文書が編纂される。
 @明治維新関係議会資料の概要
 時のイギリス政府にとって、例えば19世紀後半におけるバルカン半島問題のような国内世論の関心が高かった対外政策や対外権益に重要と考えられる特定の記録・報告書類は、政府部内において編纂・抄出され、そのすべてが議会資料として提出されているわけでないことは、多くの研究者の指摘するところである*20。複雑多岐にわたる外交交渉の記録はおのずと編纂・抄出されて、内容が整理されているし、またその一方で、当然、外交機密に属するような内容の文書が議会に提出されることもない。これに加えて、日本のような非欧米諸国との関係記録も、一部の人々を除けば相対的にイギリス国内世論の関心外におかれることが多かったためか、すべてが議会資料として提出されてはいない。そればかりか、他に世論に公開すべき重要案件が多ければ、日本関係記録の議会提出は見送られているし、ある年に議会に提出されたからといって、その翌年もまた提出されるとはかぎらなかった。
 ただし、日本関係記録は、明治維新期のものは比較的数多くの資料がイギリス議会に提出されている。これは、外交関係樹立直後から、居留地選定問題や金銀比価の内外価格差などによる貿易の混乱*21日本側官憲による貿易統制・貿易中断といった事態が頻発したあげく*22、日本国内における排外主義運動(=攘夷運動)の影響を受けて自国民が殺傷され、さらには自国駐日外交使節までもが襲撃されるという事態を招いていたため*23、少なからず対日関係に関心が注がれていたことが関係している。
 特に、1862年9月に起きた自国民殺傷事件(生麦事件)以降の約2年は、こうしたトラブルが頂点に達し、対日関係は国交断絶・戦争開始の可能性を生じさせていた*24。そのため、日本での排外主義を抑止させ、在日外国人の生命保全と対日貿易関係の正常化を図るため、イギリス政府や駐日公使オールコックは、日本側に圧力をかけるべく二度にわたって局地的軍事行動を挙行した。すなわち、1863年8月イギリス艦隊鹿児島湾砲撃事件(薩英戦争)、そして翌1864年9月の英・仏・蘭・米、四カ国連合艦隊による下関砲台攻撃事件(下関戦争)である。この2つの事件は、膨大な対日関係記録を議会に提出させることになった。
 イギリス艦隊の鹿児島湾砲撃は、結果として、民間人居住区をも含めた鹿児島市街を焼失させることになり、その情報が本国に伝わるや、国内世論は厳しく政府を批判した。そのため政府は、事件の正当性を明らかにするため、イギリス艦隊の鹿児島湾砲撃に至ることになった生麦事件以来の対日交渉記録を数多く議会に提出したのである*25。また、この鹿児島湾砲撃に際して、イギリス艦隊は、高性能の長距離砲であるアームストロング砲を初めて実戦に投入したため、その性能に関する報告も議会に提出されている*26。下関砲台攻撃についても、政府は艦隊遠征の正当性、およびその後の対日関係好転を裏付ける数多くの日本関係記録*27と、引き続き実戦に使用されたアームストロング砲の性能に関する報告*28を議会に提出している。
 このほか、前述したように、明治初年については、駐日公使パークスの日本文化学習・調査政策の所産として、日本国内文化・産業に関する報告書がいくつか議会に提出されていることが注目される。
 A問題点
 比較的、数多くが提出されている明治維新関係の議会資料であるが、やはりそこには編纂物であるがゆえの問題点も存在している。そのいくつかを指摘しておく。
 まず問題点として、議会資料は編纂物であるがゆえに収録されなかった文書も数多く存在しているということである。これは、冊子の体裁をもって提出されることの多い議会資料が、年度別など期間を区切るか、あるいは個々の問題別形式で編纂されることとも関係していよう。外交交渉は、必ずしも一つの問題に限定しておこなわれるわけではないし、外交交渉に先立つ事前交渉がおこなわれる場合もある。こうした事実は、議会資料だけではわかりにくいし、すべての交渉が収録されているとはかぎらない。またそもそも、機密情報と思われるものや、極秘におこなわれた外交交渉やその事前交渉の内容は、しばしば「極秘」扱い*29で処理されるので、議会資料に含まれることはない。したがって、議会資料だけでも個々の問題に対するその概要を把握することはできるが、外交問題の細部などにおいては依然として不明な部分が残されているのである。
 また、数多く提出されている明治維新期の議会資料とはいえ、内容的に外交・貿易関係に傾斜していることも問題といえる。議会資料が国家レベルの資料だということを考慮しても、実際におこなわれていた日本との技術・文化などの諸交流、さらには在日居留民たちの社会生活や、イギリス本国に多数派遣された日本人留学生など、人的交流の諸側面を伝える議会資料はごくわずかである*30
 イギリス政府の関心に沿って、年度別、あるいは問題別に編纂された議会資料の内容だけでは、対日関係を詳細を体系的にとらえることができないし、明らかでない事実も数多いのである。
 
 W 戦後の明治維新史研究とイギリス外務省文書の利用
 こうした問題点のゆえに、研究者たちの関心が、議会資料だけでなく、外務省文書や海軍省文書など、議会に編纂資料として提出される以前の段階における各行政部局の一次資料の蒐集・閲覧に移っていったのも当然である。
 日本の明治維新史研究者たちも、戦後になると、イギリス側日本関係資料の利用にあたって、こうした関心を顕著に示すようになる。そのなかでも、イギリス外務省の日本関係文書は残存状況が良く、ほぼ19世紀中の関係資料蒐集が大部分可能であった。そこで、戦後1954年から1965年にかけて日本学士院による「日本及び東亜諸国関係在外未刊史料」渡欧調査が実施され、19世紀の日本関係イギリス外務省文書の一部はマイクロフィルム撮影された後、東京大学史料編纂所に移管・保存公開された*31。さらに現在では、横浜開港資料館が独自に渡英調査・撮影をおこない、東京大学史料編纂所には所蔵されない日本関係イギリス外務省文書の複写閲覧が可能となっている*32
 駐日イギリス公使および各イギリス領事の往復書簡や報告書類、本国外務省と駐日イギリス公使との往復公信を基本として構成されるイギリス外務省文書は、当然、日本関係の議会資料が提供する情報量を圧倒的に凌駕するものである。戦後、イギリス外務省文書が日本で閲覧可能となったことにより、明治維新期の対外関係史研究は外交・貿易の分野を中心として大幅な前進を遂げ、未解明であった数多くの事実を明らかにすることになった。
 その代表的な研究文献として、石井孝『増訂・明治維新の国際的環境』[石井 (孝)1966]を挙げることができる。同書は、旧著『明治維新の国際的環境』[石井 (孝)1957]を内容的に大幅増訂したものである。旧著が、外国側の対日政策の記述に関して依拠した主たる資料は、いくつかの外国文献、そして議会資料であったが、増訂版においては、イギリス外務省資料(さらには仏・米の外交資料も利用)が積極的に利用されたことで、生麦事件前後における対日軍事援助計画や戊辰戦争時における局外中立問題の展開過程などが水面下にわたる交渉部分におよぶまで実証された。これにより、イギリスを始めとした諸外国による対日政策の詳細が、戦前とは比較できないほど明らかになったのである。
 また、貿易史研究においても、戦前段階では自覚されながらもできなかった、イギリス領事報告提示の対日貿易額修正や、必ずしも詳細でなかった貿易取引の内容が、イギリス外務省文書中に残された各種対日貿易統計データ(イギリス領事報告所収データの原資料)を、イギリス領事報告などと比較検討・再検討することで実現可能となった。こうした研究成果としては、『横浜市史』[横浜市1959: 369-394, 504-576]*33、『近世海産物貿易史の研究』[荒居1975: 第1章]、Japan's Industrialization in the World Economy, 1859-1899[Sugiyama1988: Chapters 4,5,6.]などを挙げることができる*34。もちろん、イギリス外務省文書中に残された統計データも、その統計方法は不明確であり、完全に信頼が置けるわけではないが、少なくとも幕末貿易の数量的全体像がほぼ把握できるようになったことで、研究を進めるうえでは大きな進展を意味した。
 
 X 現在の研究状況における問題点と課題
 今日、明治維新期における対外関係史研究、日英関係史研究を概観した時、イギリス領事報告の利用を除けば、この外務省文書を基本とし、さらに海軍省や陸軍省の原文書(および民間商社などの貿易関係史料)などをも利用しておこなわれるようになっており*35、もはや議会資料だけで何かが見いだせるような状況ではない。
 では、日本史研究、特に明治維新対外関係史研究にとって、議会資料は有用でなくなったのであろうか。確かに、歴史研究をおこなう場合、事実の解明は歴史学者としての最重要の任務である。議会資料のような編纂物とイギリス外務省文書のような一次資料を比較すれば、おのずと後者を重視しなければならない。
 しかし、これまでの日本史研究、あるいは日本史研究者による日英関係史研究における議会資料やイギリス外務省文書の利用状況を考えた時、関心が注がれてきたのはそれらに記されている多様な情報(史実)であって、われわれは、なぜそういった情報が記されるのか、つまり文書様式の理解や史料考証をいささか軽視してしまっている傾向といわなければならない。なぜなら、これまでのわれわれの関心は、イギリスの対日政策を伝える文書類など、あくまで日本史という一国史研究を補足するような情報に限定されがちだからである。もちろん、そういった情報の重要性は決して否定できない。しかし、イギリス政府あるいは駐日イギリス外交使節の発信した文書には、前述したように、議会資料として編纂される以前の段階から様式論が確立されている。この点を見失うと、たとえイギリス外務省など政府文書に記されている多様な情報から数多くの史実を明らかにすることができたとしても、それは議会資料がそうであるように、時のイギリス政府が描きかった歴史像の範疇を越えるものではないということに気付かなくなる。これでは、客観的にみた日英関係史の諸相を明らかにできたとはいえない*36
 だとすれば、外務省などの政府文書、議会資料、いずれも軽視することなく、それら文書の背景までを把握したうえで、あくまでそれら文書をセットとして再検討し、研究にあたることが必要となろう。こうした点は、既に萩原延壽[1980; 1998]などの研究によってある程度克服されているとはいえ、まだまだ十分に認識されているとはいえない。
 またこの点は、イギリス領事報告の利用についてもあてはまる。基本的に、われわれの関心は、イギリス領事報告に所収されている各種貿易統計データに集中している。領事報告所収の貿易統計データが完全に正確なものではなく、また体系的なものでもないが、それを外務省文書などの利用によって克服しようという努力の払われてきたことは既に説明した。だが、統計データに比べて、イギリス領事報告に記されている貿易取引の詳細、それに対する領事による分析の背景については、あまり関心が払われていない。また関心が払われている場合でも、一部の研究者を除けば、逆に今度はなぜそういった事実が記されるのか、なぜ領事はそういった分析をするに至ったのかという点について注意の払われていないことが多い。
 例えば、明治維新期における各領事報告には、繰り返し述べてきた蒐集貿易統計データの不完全性のほか、日本側税関の不正横行、日本政府による貿易統制など、貿易環境全般に対する不満が繰り返し指摘されている*37。だが、今までこういった事実は紹介されることがあっても、その背景に至るまでの分析は、既にいくつかの注目すべき研究がおこれなわれ[石井(寛)1984; Sugiyama 1988; 杉山 1993など]、近代日本の貿易環境が不平等条約の存在ゆえの外国貿易商人たいする優位的立場の付与という従来の固定観念を変貌させてきているとはいえ*38、未だ不十分といわなければならない。
 そのためには、政府関係文書や議会資料以外の一次史料、例えば商会文書や私文書などをも利用して、よりいっそう日英関係の諸相を究明することが必要となろう。その際には、やはり研究の基礎的部分に外務省文書などの政府文書や議会資料が位置づけられ、幾度にもわたって再検討されることが再認識されなければならない。明治維新史研究や日英関係史研究においても、もはや議会資料だけで何かを究明できる段階ではないとはいえ、そのために基礎資料としての議会資料、そしてイギリス政府文書の有用性を否定することは決してできないのである。
 
おわりに・議会資料完全公開の意味するもの
 明治維新期の日本関係議会資料は、そこに記された情報にだけ注目すれば、史料として利用し尽くされた感があるといっても過言でないかもしれない。しかし、それはそのまま日本関係議会資料が利便性のある基礎資料として必須なものになっていることを意味している。
 今回、日本国内で19世紀におけるイギリス議会史料のほぼすべてが閲覧可能となったことは、この基礎資料の拡大、そして研究領域拡大の可能性を意味しているといえよう。これまでは、日本関係なら日本関係といった各国別の限定復刻版でしか議会資料を利用することができなかった。しかしこれからは、それが議会資料という制限された情報に留まるものだとしても、イギリスと日本以外との国際問題について比較研究をおこなうことが容易になるからである。また、これまで日本関係議会資料の復刻は、19世紀を中心としておこなわれてきたため、19世紀末から20世紀をまたいだ研究、あるいは20世紀を対象とした研究における利用は必ずしも盛んではなかった。こういった点も克服されていくであろう。
 日本国内における議会資料の完全公開は、日本史研究者にとっても、計り知れない研究領域拡大の可能性を包括しているといえるのである。
 
 
 
 

*1イギリス議会資料の概説としては、Temperley & Penson [1938]などがある。
*2日本関係のイギリス議会資料目録としては、洞[1977]、Steeds & Nish[1977]などがある。
*3「大隈文書」(早稲田大学中央図書館蔵)A3142「明治六年至十一年東京・神奈川・横浜・函館・長崎・兵庫・大阪・新潟・鹿児島諸港貿易報告書」など。
*4「編年之部」全30編、「類輯之部」全14編。雄松堂出版が1983年から1988年にかけて復刻版(全54冊)を刊行している。『続通信全覧』について詳しくは、通信全覧編集委員会[1989]、および田中[1998]を参照。
*5和訳は、オールコック[1963]。
*61862(文久2)年に横浜イギリス領事館付通訳生として来日、駐日イギリス公使館の日本語通訳官などを歴任しながら、幕府や薩長の武士たちと交流を保ち、また三大ジャパノロジストとして名をはせ、後年には駐日公使にもなったアーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow)が、自らの日記を主たる典拠として1862(文久2)年から69(明治2)年までの明治維新体験を記した回想録、A Diplomat in Japan [Satow 1921]は、公式記録である日本関係イギリス議会資料からはまったく知りえない、非公式レベルにおけるイギリスの対日交渉の様相を伝える重要史料である。しかし同書は、そのあまりに生々しすぎる記述内容(例えば岩倉具視による孝明天皇毒殺の噂など)であるがため、1960年に完全邦訳本[サトウ 1960]が刊行されるまでは、部分的にしか利用されることはなかったことを確認のため記しておく。
*7大塚氏の諸論文は、同氏の遺稿集『幕末外交史の研究』[大塚 1967]にも所収されている。
*8綱文の典拠資料集である「大日本維新史料稿本」には、数多く幕末の日本関係イギリス議会資料をタイプ化あるいは和訳した文書が所収されている。「大日本維新史料稿本」は、今日、東京大学史料編纂所に所蔵されている(閲覧が可能)。具体的には、『維新史料綱要』各巻における各綱文の出典を見よ。
*9。維新史料編纂会および『維新史』については、大久保・小西[1983]が参考になる。
*10イギリスの領事制度および領事報告については、Platt[1986], 角山[1971]などを参照。
*11例えば、大正年間の編纂になる『神戸市史』資料編3が、神戸港に関する駐日イギリス領事通商報告を、1868、69年の2年分ではあるが、全文転載していた[神戸市役所 1923: 19-76、横書きの部]。戦後には、『神奈川県史』資料編18が、幕末維新期の横浜港に関するイギリス領事通商報告を翻訳のうえで転載している[神奈川県企画調査部県史編集室 1975: 3-88]。
*1220世紀になると、電信が本格的に採用されたほか、暗号文書も盛んに利用されることになるので様相が異なる。
*13 例えば、Report by Mr. Adams, secretary to Her Majesty's Legation in Japan, on the central silk districts of Japan. August 1869., British Parliamentary Papers, 1870. LXV [C. 27] . Report of a tour in Japan by Mr. Troup, from June 16 to July 1, 1870. Ibid., 1871. LXV [C. 242]. Reports on the manufacture of paper in Japan. March 1871. Ibid., 1871. LXVII [C. 400 ].Reports on the production of tea in Japan. July 1872-March 1873. Ibid., 1873. LXVI [C. 740].Report by Mr. Watson respecting the resources of the Island of Yezo, & c. July 27, 1873. Ibid., 1873 [C. 863-I].など。
*14日本アジア協会については、楠家[1997]を参照。
*15もちろん、私文書である以上、まったく私的な通信事項が一つの文書中に混在していることも多く、セミオフィシャルな文書と厳密に区分しきれない場合も多い。
*16Jhon Russell Papers. 分類番号PRO 30/22.
*17Edmund Hamond Papers.分類番号F.O. 391.
*18ハモンド文書は、日本でも、横浜開港資料館においてその紙焼きコピーを閲覧することができる。
*19もちろんこれ以外にも、外務書文書には、駐日外交団の会計記録や在日居留民の登記緑などを記した文書群が存在する。詳細は、楠家[1989]を通読されたい。
*20Temperley & Penson[1938]などを参照。なお、特に20世紀以降のイギリス議会資料は、一般的に、官僚の圧力などで、上程・刊行された記録・報告書類の内容が浅薄になったといわれる[坂野 1971: 330]。
*21 Her Majesty's envoy and minister plenipotentiary in Japan, correspondence. British Parliamentary Papers, 1860 LXIX [2648].
*22 Stoppage of trade by the Japanese authorities, correspondence. Ibid, 1860 LXIX [2617].
*23Mr. Alcock, Her Majesty's envoy extraordinary and minister plenipotentiary in Japan, correspondence. Ibid, 1860 LXIX [2694]. Affairs of Japan, March and April 1861, correspondence. Ibid, 1861 LXVI [2829]. Affairs of Japan, correspondence. Ibid, 1862 LXIV [2929].
*24Affairs of Japan, correspondence. Ibid, 1862 LXIV [2929]. Affairs of Japan, correspondence. Ibid,1863 LXXIV [3079].
*25Affairs of Japan, correspondence. Ibid,1863 LXXIV [3079].
*26Performance of the Armstrong guns at Kagoshima, report. Ibid, 1864 XLII [145].
*27Affairs of Japan, correspondence. Ibid, 1864 LXVI [3303]. Affairs of Japan, correspondence. Ibid, 1865 LVII [3428].
*28Armstrong guns in the action at Shimonoseki, report. Ibid, 1865 XXXII [279].
*29前述した「政府部内秘資料(Confidential Print)」のことではない。内容そのものが極秘扱いされた文書のことである。確認のため記しておく。
*30 例えば、近年における日英関係通史の好著であるCheckland[1989](邦訳チェックランド[1996])や、日本における居留地全般を扱った注目すべき研究 Hore[1994]などを繙いた時、イギリス議会資料の伝える内容は、日英の歴史のわずかな部分にすぎないことを教えてくれる。
*31その目録が、Iwao[1959].
*32現在では、いくつかの外務省文書がマイクロフィルムとして出版されており、早稲田大学など、いくつかの大学図書館などでも部分的に閲覧が可能である。なお、近代日本関係のイギリス政府一次資料全般については、楠家[1983; 1985; 1989]が参考になる。ただし、政府文書に限っても日本関係資料のすべてが網羅されているわけではない。
*33特に369〜394頁、504〜576頁など。
*34このほか、石井(孝)[1953]なども参照。なお、1859年後半の横浜貿易や、幕末全体の箱館貿易については、現在でも詳細でない部分が多々ある。この点については、石井(寛)[1984: 14, 60]、石井(孝)[1984]、長谷川[1998]などを参照。
*35近年では、イギリス外務省文書以外でも、19世紀のものに限り、イギリス海軍省や陸軍省の日本関係史料が、横浜開港資料館において紙焼きコピーの形で閲覧可能となっている。
*36特に、イギリス政府の対日政策立案過程についてはそういえるであろう。
*37例えば、1862年度箱館領事報告における、荷揚げ用に備え付けられた税関の小舟を外国人に貸そうとしないなど、税関役人の外国人に対する不当な扱いの指摘(Commercial Report on Hakodate, 1862. British Parliamentary Papers, 1863 LXX [3229]. pp. 216 - 217.)、1865年度箱館領事報告における、輸出禁止品(当時)である銅を税関役人が直接取引しているという指摘(Commercial Report on Hakodate, 1865. Ibid, 1866 LXXI [3707]. pp. 7.)、同じく1865年度長崎領事報告における、在留清国人によるまったく名目的にすぎない輸出価格の申告を税関役人が黙認しているという指摘(Commercial Report on Nagasaki, 1865. Ibid, 1866 LXXI [3707]. pp. 22.)、1872年度江戸(東京)副領事報告における、公売による米の輸出を布告した日本政府が特定の外国商社のみに仲買を許可しているいう指摘(Commercial Report on Yedo, 1872. Ibid, 1873 LXVI [C. 863] pp. 78)などを始めとして、日本側税関役人に対する不満を吐露した記述は、明治維新期におけるイギリス領事報告の特徴となっているといえる。
*38例えば杉山伸也は、19世紀後半のいわゆる不平等条約下における在日外国人貿易商人たちの置かれた環境は、有利な関税率の設定や治外法権の付与といった条件にもかかわらず、内地旅行権が欠如していたことや、国内流通をつなぐ当時の日本における貿易慣行の存在(日本人売込商や引取商を介さなければならない)、そして外国商人はそうした慣行に対抗する資本を有していなかったことなど、非関税障壁の存在に注目し、「不平等条約下における居留地貿易のパラドックス」というテーゼを提示している。以上、杉山[1986]、Sugiyama[1988:52 -55]などを参照。
 
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