これは、1994年11月に京都大学芝蘭会館でおこなわれた明治維新史学会秋季大会での報告レジュメ(一部史料欠)ですが、公開したものは、その後(1994年12月)に、当時、聴講していた早稲田大学大学院経済学研究科の講義「日本経済史研究」(川勝平太教授ー当時・現在、国際日本文化研究センター)で、再度、同内容について報告したものです。一部、誤植の訂正や内容の改訂がおこなわれています。
明治初年における内外条約改正構想の対立 と岩倉使節団の条約改正交渉
鵜飼政志
はじめに
A条約改正研究史の方法(国策(=国益)と相対立する国際政治の世界)
(史料22)
B報告対象〜岩倉使節条約改正交渉(実証研究の進展〜下村富士男氏、石井孝氏)
問題点〜ナショナリズム的構想と質的利権拡大構想の対立〜石井孝氏
C1870年代の条約改正交渉(国益と局地的利権の対立、国際経済(=貿易)のなかでの把握の必要性)
A明治政府にとっての条約改正(1871年前後)
史料(1、18、19、20、21)
a体制変革による自国存立条件の対外的説明(旧幕府との差異を際だたせる)。
b華夷秩序(すでに独立している)から万国公法世界への参入宣言、システムの変更。つまり、東洋における積極的な西洋(的近代)化の宣言。「万国対峙」
c編入された世界における自国の位置を現状分析(=辺境、半独立国)。編入された世界における自らの進路(=西洋化、近代化に基づく独立国)を設定、その契機として条約改正期限を受けとめる。ただし、この時点においては理念が先行するのみで具体的において一貫性がないといえる。
条約改正にあたっての障害/法権の一部欠如、関税自主権(=国内課税権)の欠如。
※特に後者を重視→国家建設にあたって貿易利益の重視。国家による貿易管理、独占。
「官貿易」(商法司政策)、通商司(通商会社)政策。米の輸出(史料B)。
特定貿易品への課税(例/生糸・蚕種)。
貿易活動全体への課税(「口銭」、「約銭」、「五厘金」、「歩合金」)
(〜幕府時代からの政策継承、地方税など近代的租税体系の不備による)
(※従来、徳川幕府と明治政府の貿易政策はその非連続性が強調されているが、特に大久保政権による殖産興業政策以前の段階では、ほとんど差異はないといえる。)
※総じて国家にとっての条約改正という側面が強い(ナショナリズム)。
※明治政府の関税改訂構想(保護関税政策)→収入関税、保護関税の両面を包括する。
国内産業保護構想はこの時点では不明確であり、現実には、収入関税としての要素が強いように思われる(★「万国対峙」の不明確さ)。
B外国(欧米)側にとっての条約改正(1871年前後)
史料(4、5、6、7、11)
※国内動乱による貿易への影響が除去された維新後、日本は国内経済発展の可能性を秘めながらも、さまざまな制限から外国人商人たちにとっては、必ずしも有利とはいえない貿易環境が明白となる。つまり、自由貿易を骨子とした安政五ヵ国条約や「江戸協約」の条文が必ずしもそのまま履行されていない状況の存在が確認される(史料8、12)。ここに外国人商人たちにとっても、既存の通商条約は不平等なものと認識され、条約改正に対する意見および自らの権益と相反する日本側の構想に反対する意見が続出してくることになる。
●外国人商人にとっての対日貿易(参考ABC)
a貿易環境(東アジア貿易圏のなかの欧米資本(銀貨圏)、実質的には東アジア(中国)在留資本の出張機関的存在、中小資本の乱立(1866年恐慌による巨大商社の資本力後退と外国銀行の日本進出が背景)(史料24)、本国に存立しえない人々(商人)たちの利益蓄積の場所、¨ヨーロッパのはきだめ¨、”非ジェントルマン”)。
b居留地貿易(制限された活動の場)
資本量不足(商人貸付の失敗・困難)、日本人売込商、引取商との取引。居留地間の輸送・情報手段が乏しい(対外・対内的情報手段からの孤立)。貿易の拡大にもかかわらず、変わらぬ貿易構造(史料23)。再輸出手段の不備(輸入貿易と国内消費との非連結性、売れ残り商品)。新港選定(新潟・大阪)の失敗。
c日本政府(徳川幕府、明治政府)による間断のない貿易統制。
〜貿易品に対する二重課税。贈収賄の強要。貿易認識の差異。通貨問題。司法制度の不備・日本人商人との契約不履行問題による損害問題の続出(当然、逆もあり)。
謀略説の流行(外国人を貿易活動から締め出す)。これに対応した売込商・引取商たちの明治政府に対する協力的対応(「商人的対応」〜石井寛治氏。例;生糸改会社政策。
●在日外国代表団にとっての条約改正と岩倉使節団認識(主としてイギリスの場合)。
a幕末・維新期における日本(=東アジア)の位置づけ
→通商の場〜経済関係が主(除:対ロシア情勢)。
主たる任務/居留民の貿易活動保護、同時に自国権益の確保。
※したがって、条約改正構想も在外自国権益と居留商人たちの意見を最大限に政治外交の場に反映させたものとなる。ブラント・メモ(史料2)、パークス・メモ(史料3)は、正式な居留民たちの条約改正意見を参考にしたものではないが、意見の核心部分では共通していた。しかし、利益の蓄積を究極の存在条件とする商人たちの対日貿易に対する意見・苦情が、100%外交団によって交渉の場に反映されたわけではない→苦情”マニア”の存在。また、開国和親を国是として表明している明治政府の進歩的姿勢を、現実の拡大する貿易状況と合わせて楽観的に評価していたという点も否定できない(史料A)。さらに、この官民の意見バランスは、本国政府を取り巻く政局状況や本国内業者の利害如何によって必ずしも一致しないことがある(例/オールコック協定)(史料10、17)。
◆外国側の条約改正構想は、質的な利権の拡大か?(各条約改正意見の総合的判断)
内地旅行・居住権、関税払い戻し制度や外国資本の導入など、既存の権益拡大を目指す要素が見受けられるが、新権益の獲得方法には意見のばらつきが見受けられる。また、税関における外国人検査官制度は日本側行政の不備改善策として理解すべきであり(混合裁判所制度も同様の意図)、中国において採用された同制度とは主旨が異なる。また、 沿岸貿易については、新港開港の代替え、貿易不振の打開策として提案されたものであり、完全な沿岸貿易獲得を求めた意見は見られない。その他についても、日本国内の経 済状況を判断したうえでなお現状の貿易不振を打開する対策として提起されたものと理解すべきである。
なるほど、これら外国側が要求した条約改正にあたっての各新制度は、貿易の国家管理を目標とする日本側にとってみれば新たな権益の譲与であり、不都合と理解されて当 然であろう。しかし、これらの各新制度が質的な権益の拡大として作用するのは、既存 の貿易環境が条約規定どおりにおこなわれている(=自由貿易)ことが前提条件である。したがって、外国側の条約改正構想を既存権益の質的な拡大を目指すものと理解するの は一面的なように思われる。(下線部は補足点)
以下、省略。
b対日(=東アジア)外交関係の変化と岩倉使節団
アメリカの台頭(独自の外交政策復活)
→駐日公使デ・ロングの独自外交、日米関係の緊密化
イギリス権益の停滞化と日清外交関係の成立(日清条約批准問題)
→”駆り立てられる幻想”
◎イギリス・アメリカの岩倉使節団派遣認識(ぬぐえぬ条約改正使節認識)
英 駐日代理公使アダムスの好評価(史料13)
デ・ロングの岩倉使節団の随行帰国(”第2のバーリンゲーム使節団”)(史 料14、15)
米国での外債募集計画→保護関税構想に結びつく疑念(史料9)、伊藤博文の存在、悪評価
欧州での条約改正会議構想→本国政府は歓迎、アダムスの反対(史料17)。
米 グラント政権の岩倉使節団歓待(周知の総選挙対策用政治行動)(史料16)
(5万ドルの公費支出、日本側に条約改正交渉の全権が付与されていないのを知りながら交渉に同意、グラント大統領の条約改正熱望、国務長官フッシュの独自見解(独自草案の作成)、交渉の挫折)
→M・メイヨ女史(1967)のハミルトン・フィッシュ文書を使用した研究で解明される。
Cまとめ(明治初年の内外条約改正構想)
究極的対立の図式(認識と改正観点の差異)
→国家的観点の改正構想(ただし、大久保政権の成立まで)と居留民の利権保護を眼目とした局地的改正構想の対立
「政治的構想」と「経済的構想」との対立。
Dその後の展望
●大久保政権の成立(具体的には明治8年の日米交渉〜吉田=エバーツ条約)を境として条約改正交渉史は変貌する。
●外国側(主としてイギリス)自らの構想を日本側が受諾するという期待の挫折
●ドイツの台頭、ロシアの極東進出〜国際政治の展開
→国際政治の舞台において国策(国益)の相対立するた本来の条約改正交渉の姿へ。
補足※外国代表団は、在留商人たちの条約(貿易)体制に対する要望・意見を、日本側に受け入れられないことがわかったこと、日本の東アジアにおける台頭化、国際(政 治)情勢の変化などもあり、無視するようになっていく。1880年代、横浜居留地 において外国人商人たちによる条約改正反対運動が積極的に展開されていったのもこのような事情による。
史料1
「擬新定条約草本」主要条目を始めとした当初の日本側条約改正構想。
(石井孝『明治初期の国際関係』16頁)。
A総領事に職務以外の内地旅行を認めない。
B居留地規則・港規則は、外国領事と協議するのをやめて、日本の地方官が適当とするものを作成する。
C日本開港場相互間における輸送の条項を削除する。
D輸出すべき品を産地より開港場に輸送するにさいして、運輸税を徴収することがある。
E領事裁判を双務的なものに改め、民事裁判を混合裁判とする。
F外国海軍用品を開港場に陸揚・保管する規定については、「自主国ノ権ニ障アルコトク存セラル」として、将来の削除をほのめかす。
G燈台税の新設。その後、出入港税を廃し、燈台税はトン税に改める。
H最恵国条項を双務的とする。
※これに、伊藤博文の建議書などに代表される保護関税政策の採用が加わる。
史料2
ブラント・メモ。
(F.O.46/152.No.40.Inc.Mr.Adams to Earl Granville.Yedo.February 17,1872.
Confidential.)(要約は石井孝前掲書、2〜6頁。)
※覚書作成には米国公使デ・ロング、蘭国公使ヴァン・デ・ウーヘンらも関わっている。
A税率改訂(輸出入品とも5%を維持する。茶・生糸関税を増し、5%以上支払っている多くの輸入品関税を減らす。)
B出入港税の変更
C燈台税および港湾税
D国内旅行および日本人との商業取引の権利
E外国船の非開港入港
F貨幣問題
G遊歩区域の拡張(特に長崎)
H外国人不動産認可
I居留地市政問題
J関税払い戻し制度
K米の輸出許可
L番茶税率の問題(長崎)
M河川航行問題
N日本人官憲による収賄行為
Oキリスト教問題
P混合裁判所
史料3
パークス・メモ
(F.O.46/156.ff.127-131.Sir Harry Parkes to Earl Granville.13 November.1872.)
(要約は、石井孝『明治初期の国際的関係』吉川弘文館、1977年、または萩原延壽「遠い崖」1186〜7回(『朝日新聞』夕刊、1985年6月7日、10日)にあり)
A国内開放(内地旅行)
B沿岸貿易の参加
C外国資本の導入
D関税率の改訂
E税関行政の改善
F関税払い戻し制度の採用、または保税倉庫制度の改善
Gトン税および燈台税
H国内通貨の純度
I国内法廷
J外国人居留地の自治機構
K港湾規則
L日本政府官員の貿易への不当な干渉
外国側の条約改正構想a 史料4
箱館(ハウエル商会)
Messrs.Howell and Co.to Acting Consul Troup.Hakodate.Dec.19.1871.
A産物会所制度に対する批判(貿易独占)
B蝦夷地内の場所請制度批判(貿易独占)
C「口銭」「役銭」に対する批判(二重課税)
D不開港場への輸送に外国船雇用を要求(沿岸貿易)
E税関に外国人検査官の雇用を要求
F商人領事は不可
G混合裁判所制度設立を提案
史料5
外国側の条約改正構想b 長崎
aフラワーズ領事(以下、長崎商人の意見を参考にしたもの)
Consul Flowers to Mr.Adams.Nagasaki,December 30,1871.
番茶税率の改訂。
石炭の無税輸出。
関税払い戻し制度の採用。
トン税および燈台税の採用。
居留地内地代の軽減。
内地旅行〜一定条件下にて実現(領事の約定あるいは保証)。
混合裁判所〜現実として難しい(日本側司法権の整備と裁判の独立を提言)。
bアルト商会
Messrs.Alt and Co.to Consul Flowers.Nagasaki.December 18,1871.
輸出税〜現状維持(将来的には全廃)。
税則〜不満、ただし日本政府の事情も考慮すべき。
番茶税率の改訂。
再輸出〜関税払い戻し制度の採用。保税倉庫制度は不可。最重要問題。
輸出禁制品〜硝石は解除せよ。
国内開放〜新港の開港。領事旅券制度による内地旅行許可。不開港場への外国船による内国産品輸送の許可。
地代問題。
日本人との訴訟問題。
混合裁判所〜望ましい。
cホルム・リンゼー商会
Messrs.Holme,Ringer,and Co.to Consul Flowers.Nagasaki,December 11,1871.
地代〜軽減せよ。
関税〜長崎輸出茶税率の低減化。
関税払い戻し制度〜是非とも採用せよ。中国にあって日本にないと、長崎には不利。
dグリブッル商会
Messrs.Gribble and Co.to Consul Flowers.Nagasaki,December 15,1871.
税則〜2、3品目の税額変更望ましい。番茶の低額課税を廃止し、生葉・加工を問わず長崎では統一税率を採用せよ。
石炭〜無税輸出を認めよ。
トン税〜燈台建設費用充当のため採用すべし。
内地旅行〜旅券制度による実施。
商人領事〜不可。
地代〜減ぜよ。
eモルトビー商会
Messrs.Maltby and Co.to Consul Flowers.Nagasaki,November 24,1871.
関税率〜数品目の変更。特に番茶税率(生葉・加工を問わない統一税率)。
石炭〜無税輸出。
地代〜高い。減ぜよ。
fボイド商会
Messrs.Boyd and Co.to Consul Flowers.Nagasaki,November 27,1871.
日本の国内資源〜利用すべし。
地代〜減ぜよ。
内地旅行〜要求する。
gグラバー商会
Messrs.Glover and Co.to Consul Flowers.Nagasaki,December 30,1871.
関税〜2、3品目の修正必要。他は公平。
関税払い戻し制度〜許可すべき。
長崎輸出番茶〜他港よりも低減化せよ。
地代〜減ぜよ。
税関における外国人検査官の採用〜中国人の茶不正通過工作に関連して必要。
トン税の創設〜大型船舶の出現により、出入港税の一定化は不公平。
炭坑採掘問題〜外国資本の導入
石炭〜無税輸出
内地開放〜完全開放は時期尚早。旅券制度による実施を。
新潟〜不適当。他港との代替を。ただし新港開港は、貿易目的である限り不要。
商人領事〜日本、外国とも不可。
hドーニー(個人商人)。
Mr.Doheney to Cousul Flowers.Nagasaki,December 26,1871.
炭坑採掘〜外国資本の導入。
石炭〜無税輸出。
地代〜軽減化。
保税倉庫制度〜失敗かつ不適当。
関税払い戻し制度〜最も望ましい。
自由港〜長崎の自由港化を提唱。
二重課税〜条約違反。
史料6
外国側の条約改正構想c 兵庫・大阪
a兵庫・大阪商業会議所
Report of the Hiogo and Osaka General Chamber of Commerce on the proposed
Revision of the Treaties,in 1872;made at the invitation of Her Britannic
Majesty's Minister.
問題点(条約違反)
居留地内外の区画における障壁(番屋・関所)問題
日本人への貸付問題〜日本人官憲による干渉。
開港場間輸送の関税支払い不要規定が遵守されていない。
二重課税の禁止〜日本人官憲もこの事実を否定しない。
交易規則に定められた開港場における上屋建設を日本側が履行していない。
日本政府による開港場(税関)での日本人人夫・運搬用小舟の独占。
結論
A国内開放の必要性。
B条約の修正は時期尚早。ただし、外国人国内旅行権の獲得は多大な利点となる。
C現在の交易規則下での新港開港には反対(=沿岸貿易)。
D関税払い戻し制度の要求。
E輸出税の全廃。
F穀物輸出禁止の解除。
G各港税関における外国人検査官制度の要求。
H当商業会議所による新税率案の提示(省略)。
I関税支払いは、新貨幣(金円、または銀円)で。10進法換算で洋銀でも支払いうる。
J輸出税則の問題(省略)。
K税関取扱い事務の問題(閉鎖期間中の貨物取扱い。申告書式様式。)
bホール&ホルツ商会
Messrs.Hall and Holtz to Consul Gower.Hiogo,November 14,1871.
司法制度の改善〜混合裁判所の設立。
地方官憲の交替時に生じる貿易活動の障害除去。
外国人を日本政府に雇用させ、地方官憲を補助させる。
cブラウン商会
Messrs.Brown and Co.to Consul Gower.Kobe and Osaka.November 27,1871.
居留地の区画問題。
日本人との訴訟問題。
二重課税問題(五厘金制度に対する批判)
日本人官憲の苦情拒絶。「大阪では七つの関所で五厘金の徴収がおこなわれている。」
居留地内の家屋賃貸問題(居留地の未整備による日本人貸主との紛争)。
外国人の日本人雇用に対する障害。同様に開港場における日本政府の小舟・人夫独占。
以下、最重要点。
A日本国内開放。
B輸出税全廃。
C穀物輸出許可。
D税関での外国人検査官制度。
E居留地内自治制度の修正。
dムーリアン、ハーマン商会。
Messrs.Mourilyan,Herman and Co.to Consul Gower.Higo,Osaka,December 17,1871.
二重課税問題(五厘金制度)〜条約違反。
通商司(会社)政策批判。
兵庫、大阪居留地内における関所、番屋の問題。
地方官憲による小舟、人夫、奉公人の独占行為。
「現在では、税関長に申し込むことなく小舟や人夫を獲得できない。従って、我々は彼が求める金額の支払いを余儀なくさせられている。」
居留地内地代の問題
外国貿易に対する国内開放
国内需要が許すだけの穀物輸出
関税率変更は当面不要。
支払いは新円(金銀)を可能に。10進法により洋銀に対応させる。
史料7
外国側の条約改正構想d 横浜
横浜商業会議所
Report of Special Committee of the Yokohama Chamber of Commerce respecting the
Revision of Treaties.Yokohama,January 30,1872.
居留地周辺以外における
●外国人国内旅行
●貿易活動
●国内居住
●外国貨物船雇用の沿岸貿易
●穀物輸出の解禁
以上は時期尚早なことではない。
関税率軽減は時期尚早なことかもしれないが、富国となる公平(特に茶・生糸などの輸出税)
日本の豊富な鉱山資源は最大限に利用すべき。
輸入税については修正のみ〜1866年以後、価格の低下した外国製品は新税則において修正すべし(生金布など)
輸出禁制品(特に、米、大麦、小麦、硝石など)は解除すべし。
条約中の軍需品売買規定の削除〜多年遵守されていないため。
保税倉庫制度を関税払い戻し制度に代える。
新潟は不適当〜代替港として敦賀を推薦(将来的鉄道建設による大阪との連結)。
日本人の契約不履行による損害者に対する救済制度。
混合裁判所制度の設立。
日本人商人との合弁事業〜外国資本の使用。
関税支払いは洋銀だけでなく、新通貨(金円・銀円)も可能とする。
国内財政状況の公表。
税関における外国人検査官制度。
税関事務運営の改善。
上陸地点(波止場)の再検討。
死文化している貿易章程項目の修正〜突然に日本側官憲は死文化項目を持ち出す。
積荷目録の修正〜インボイス(荷送り状)の作成、提出義務が必要。
従価税支払い品目に関して〜税関役人はインボイスをもって課税する。これにより、専横的な賦課はなくなる。
旅行者身の回り品への課税問題。
税関役人の荷物検査について。
税関での採決権〜日本的方法では問題あり。
商人領事は不適当。
燈台〜外国人を燈台長として運営せよ。
居留地自治問題。
史料8
Hiogo News.October 14/1871.(北根豊編『日本初期新聞全集』ぺりかん 社、第32巻、224頁)
日本居留地内の有力新聞は、ここしばらくの間、迫りくる1872年の条約改正期限に関する内容に満ちている。ただし、我々自身は、たんなる条約の改正では多くの治療結果になると考えられるとは明言しない。本来の(姿の)条約の実施を期待できることは、まさによろこぶべきことであるが、このことを我々はほとんど期待することはできない。本来の条約の各条項は、良いものであったが、これらの各条項が実施されていないことは悪名高き事実である。
史料9
F.O.46/153.Friday Evening.(場所、不詳。ロンドン内か。)Sir Harry Parkes to Lord Granville.Private.
アメリカで交渉中の外債について、外債の利息を保証するため関税自主権を求めていると考えても、それはありそうなことである(=あながちはずれてはいないだろう)。
史料10
Japan Weekly Mail.September 9/1871.
(イギリス)公使に手渡されるであろう横浜商業会議所の意見書は、もちろん寄せられたそれぞれの問題に関して多数(を占める)意見を具体化するであろう。(しかし、)小数意見は表れてこない。これらの小数意見が詳細に考えられた立派なものであるかどうかこそ重要な問題なのである(=詳細かつ立派なものであれば、見逃せないのである)。
史料11
Japan Weekly Mail.December 16/1872.
"The Revision of the Tariff."
差し迫っている条約改正に際して、日本側は関税額の増加を要求するようである。それは、主として輸入に関してと想像される。この政策は、アメリカが高額関税をもってして国内商業を繁栄させた事実をうけてのものであることは広く知られている。(中略)高額輸入関税は必然的に貿易に対するあつれきを多大に増すべく作用するにちがいなく、(中略)貿易は国家の集積した利益によって侵害されるであろう。(中略)我々は、条約改正に関して、自由貿易の理論に全く逆行し、かつ全く虚偽であり、そして貿易活動のすべてにわたってたいへんな損害となる政策の採用に抗議せずして、岩倉使節の日本出発を認めることはできない。
史料12
Japan Weekly Mail.December 30/1872.
もしわれわれが、(中略)報告書の特徴を判断することができるのならば、条約改正に関して高尚たる自明の理(=自由貿易)を慎重に課すべき義務は、まさに深刻な状態で困難であることがわかった。
史料13
萩原延壽「遠い崖」第1070回(S59、12、10、水)
(サトウ日記)PRO30/33/15/4.
「11月15日(陰暦10月3日)岩倉が公使館に夕食に来た。使節団は12月(陽暦)にアメリカの郵船で出発の予定だという。岩倉自身が主席、木戸と大久保が次席の大使だという。われわれは木戸と大久保の地位を参事官と名付けたほうがよいと助言した。そのほかに山口、伊藤などが使節団に加わるという。」
(F.O.391/26.Adams to Hammond.Nov 18/71.)
「わたしはイギリス政府がこの使節団の派遣を好意的に見ることを期待する。それが対外関係を改善したいという真摯な欲求にもとづくことはまちがいなく、また岩倉と木戸という人選が最良ものであることも疑いをいれない。この二人については、帰国中のサー・ハリー・パークスが、さらくくわしい情報を提供できるものと思う。」
「わたしは岩倉に使節団の人選の重要性、とくにその中から一名を選び、これを他の団員と区別し、それよりも高位の大使に任命することの重要性を強調しておいた。というのは、将軍の派遣した使節団の場合、慣例にしたがって、通常複数の正使が任命されるのが普通だったからである。旧幕時代のように二名ないし三名の同格の正使を派遣するよりも、唯一名の著名な人物が元首を代表し、元首の名において発言するほうが、ずっと丁重な扱いをうけることを、わたしは岩倉に説明した。」
「すると岩倉は笑いながら、あなたはだれを大使に推薦するかと尋ねた。もちろん、わたしに言えることは、だれがよいかを指名することはできないこと、それは岩倉や日本政府が決めることであること、これだけである。しかし、岩倉もわたしも、それが他ならぬ岩倉自身を指すものであることをよく知っていた。岩倉が帰ったあとで、サトウとわたしは、岩倉か木戸が大使となるべきだという点で、すぐ意見が一致した。」
史料14
萩原延壽「遠い崖」第1109回(S60、2、14、木)
(パークスよりハモンド次官への半公信、1872年1月13日付、グランヴィル文書)
「これは根拠のない噂かもしれないが、つぎのような不愉快な情報がわたしの手もとにとどいている。それによると、駐日アメリカ公使デ・ロング氏は、日本政府を説得して、自分を岩倉と同格の全権大使に任命させ、その資格で、使節団とともにヨーロッパを巡回するというものである。このような取り決めが本当に考慮されているのだとしたら、非常に深刻な事態であると言わざるをえない。(以下、略)」
*パークスはアメリカ経由で本国に賜暇帰国している。
史料15 萩原延壽「遠い崖」第1154回(S60、4、19、金)
(駐米公使E・ソーントンよりグランヴィル外相への報告、1872年1月22日付)
「デ・ロング氏の友人たちは、かつてバーリンゲーム(Anson Burlinghame)が清国使節団において占めていたのと同じ地位を、デ・ロング氏も日本使節団との関係で保持しているものと期待しているが、わたしの理解するところでは、フィッシュ氏も、ワシントン駐在の日本代理公使(小弁務使)森有礼氏も、その旨を報じる正式の通知を受け取っていない。」
(アダムスよりハモンド次官への半公信、1872年4月1日付)
「デ・ロング氏がバーリンゲーム氏の如き地位を手に入れようとしたことは、疑う余地がない。しかし、その点で、同氏は日本側を説得できなかったばかりでなく、アメリカ政府もかかる動きを承認しないだろうと思う。もちろん、使節団がワシントンでどういう落とし穴にはまり込むことになるのか、まだ知る由もないが、外国人にバーリンゲーム氏の如き高い地位をあたえることは、いかにも日本人にふさわしくない行為である。日本人は非常に誇り高い国民だからである。ただし、万一そういうことにでもなれば、それは愚挙中の愚挙である。」
史料16 萩原延壽「遠い崖」第1164回(S60、5、8、水)
(アダムスよりグランヴィル外相への報告・附属文書、1872年5月7日付)
「アメリカの大統領と、その政府がとる行動は、来るべき総選挙を目当てにしての政治的な行動にすぎない。他の条約締結諸国が日本にたいして抱いている好意を無にする以外の何物でもない政策を追求することは、まちがっている。」
史料17 萩原延壽「遠い崖」第1166回(S60、5、10、金)
F.O.46/153.Yedo.May 14.1872.Mr.Adams to Lord Granville.Private.
「(前略)日本全土を外国人に開放するとか、外国船が沿岸貿易に従事することを認めるとか、裁判管轄権と混合裁判所の設立、宗教上の覚書とか、これらの大問題はたしかにヨーロッパで討議できるし、これらの点についてヨーロッパで協定を結ぶこともできるのであろう。しかし、日本以外の地で、それよりも小さな多くの問題について、しかもその細部について、取り決めを成立させることができるであろうか。」
萩原延壽「遠い崖」第1167回(S60、5、13、月)
「(続き)これらの問題をヨーロッパで解決することはできないし、これらの問題に直接の利害関係を持つ在留貿易商人たちが何の相談も受けないとしたら、かれらが不満をいだくのはまちがいない。」