大会第二日目・戦後歴史学の世界史認識
報告3
遠山茂樹氏の明治維新史研究と世界史認識
鵜飼政志
報告の限定
遠山茂樹氏の業績は幅広い。『遠山茂樹著作集』全九巻(岩波書店)を繙いても、明治維新史・白由民権運動の研究をはじめとして、日本近現代史全般にわたって発言しておられる。
だが残念なことに、明治維新の対外関係史を専攻するにすぎない私が、現在、遠山氏の全業績にわたって何らかの批評をおこなうだけの力はない。遠山氏本来の専攻分野である明治維新史研究に報告内容を限定せざるをえない。
具体的には、遠山氏本来の専門である明治維新史研究のうち、『明治維新』(『遠山茂樹著作集』第一巻)で提示された国際条件分析の視角、一九五〇年代前半におげる井上清氏との間にくりひろげられた諭争(主として幕末維新期におげる半植民地化の危機をめぐって)、また一九六〇年代前半における芝原拓自氏との間の論争(明治維新の国際的契機分析をめぐる間題から、遠山氏の東アジア歴史像提示について)の三点を中心に検討し、そこからわれわれは何を学ぶべきかについて意見を述べてみたい。
一 半植民地化の危機論争
遠山氏の『明治維新』は、明治維新を絶対主義の成立過程として体系的に捉えたことで有名だが、その分析視角として封建支配勢力が農民一揆などの革命勢力を抑圧し、なしくずし的に絶対主義権力に変貌したことを規定する条件として・国際条件(「外圧」)の存在を強調した。当時の欧米列強は、イギリスに代表されるように、産業資本主義段階において貿易第一主義の平和外交政策をとっていたため、世界市場への包摂を受諾すれば、経済的半植民地にとどまれたというのである。この分析視角は、複雑な国内条件(政治過程)に対する国際条件の規定の方法として明快な図式化であると私は考える。
しかし、この外圧の規定について、井上清氏が批判をおこなった(『日本現代史I』東京大学出版会、一九五一年)。井上氏は、一八六三年から一二年間にわたる横浜での英仏軍隊駐留など、外圧は決して経済的にとどまらず、植民地化の危機が現実に存在していたと批判した。井上氏は、外圧に抵抗して民族意識が形成されていく過程を明治維新に強く求めたのである。遠山氏の分析視角にも、このような点は認められるが、『明治維新』では積極的に提出されていなかった。その後、遠山氏は自説を修正し、幕末に植民地化の危機が存在していたことを認めている(『明治維新と現代』岩波新書、一九六八年)。
この両者の論争は結局のところ、具体的な実証面を通して半植民地化の危機の有無を論じたわけではなく、歴史事実を列挙することから外圧の一般的性格を議論したにすぎない。
二 政治史分析の視角としての国際条件
国際条件が国内政治条件を規定するという分析視角は、遠山氏の研究に貫かれている。特に、『明治維新』以降に執筆された論文では、外圧という国際条件が当時の国内支配者層などにとっては偶然と受げとめられたという要素も強調しており、国際条件と国内条件の両者のからみあいのなかでの総合的叙述を試みている(「幕末外交と祖法観念」・「有司専制の成立」『遠山茂樹著作集』第二巻、など)。
現在の実証水準は、政治史関係史料を数多く閲覧できるようになったことで、遠山氏が提示した国際条件と国内条件を対置させるような方法以上に、実際の明治維新の政治過程は複雑であったことを明らかにしている。しかし、遠山氏が提示した国際条件が強く国内条件を規定するという分析視角は、例えば魔藩置県(一八七一年)の条件として、自由民権家が「有司専制」と批判した明治政権を確立させた条件として、いまなお有効的な国内政治史の分析方法であることに変わりなく、国際条件を忘却してはならないことを教えてくれる。
三 国際的契機と東アジア歴史像
国際条件と国内条件を対置させる分析視角は、芝原拓自氏が、「明治維新の世界史的位置」(歴史科学協議会編『日本におげる封建制から資本制へ(下)』校倉書房、一九七五年)において強く批判したこともまた有名である。芝原氏は、世界資本主義の本質はアジア諸国に「列強資本主義の半植民地化分割を許すか経済的ヨーロッパ化かの二つに一つ」を追ったとして、明治維新を後者に位置づけた。遠山氏は芝原氏を批判し、帝国主義段階前夜には二者択一ではなく、ブルジョア革命をおこなう選択の余地ものこっていた(日本の自由民権運動や中国の洋務運動)と主張し、東アジア歴史像に関する仮説を提示した(「東アジア歴史像の検討」『遠山茂樹著作集』第四巻)。以後、両者の間で論争がかわされた。諭争の背後にあったものは、一九六〇年前後におげる内外借勢の変化(キユーバ革命や安保改定反対闘争)であり、遠山=井上論争と同じく、時代情況をうげた一般的世界史認識のあり方を間わんとしたものといった方が正しいと私は考えている。
おわりに
遠山氏が提示した世界史認識に関する分析視角は、現在からみれば、常に現代世界の惜況を意識し、忠実にそれを歴史叙述に反映させた「歴史評諭」であったという方が正しいのかもしれない。しかし、時代に応じて自らの歴史叙述を間う、ことは、歴史学が現代世界を理解する導きの方法でもあり、決して誤った方法ではない。批判を恐れず自説の修正を繰り返し、時代に適応した歴史叙述を模索していった態度こそ、時代性を見失いがちなわれが学ぶべきことではないだろうか。
(うがい まさし)