討論要旨およびコメント 鵜飼政志
【麓報告】 麓報告は、幕末の対アイヌ改俗政策の位置づけを再検討したものである。従来、幕府による対露問題を前提とした強制的改俗政策は、アイヌの抵抗で改俗は一部に止まったと理解されてきた。麓氏は、研究史の根拠となっている改俗アイヌの数量データは限定地域のものなどの指摘をおこない、いくつかの史料を読み重ねて、@改俗政策は対露問題を主眼とし、宗谷などアイヌがロシア人と接触する可能性の高い地域で多く実施された、A改俗は形式的に髷を結ってみせるなど幕府役人への妥協が確認される、B幕府のアイヌ政策は均質かつ強制的な明治国家のアイヌ皇民化政策とは違うと結論づけた。
質疑は大別要約すると、@日露条約締結とアイヌ政策の相関関係、Aアイヌ政策の転換時期は、B幕府はなぜ国民国家政策に擬する政策をおこなったのか、C当時の日本人のアイヌ観、といった質問がなされた。麓氏は次のように回答した。’@日露条約締結以後、ロシアが樺太方面で南下政策を遂行したことにより、幕府はそれ以後、日本人の樺太移住といった政策を行使していく、’A今後の課題。’B明治政府の国民国家政策と対比する必要があるが、日本近代史における国民国家理解が最近では揺れており回答に窮する、’C当時の幕府役人がアイヌ風俗を低く見ていた事例もあるが少数であり、むしろ研究者にそういう側面が強い。
【石川報告】 石川報告は、国家元首の敬称・称号など外交上の交際体裁から、近代日朝関係を通観したものである。要約すれば次の通り。王政復古の対朝鮮通達問題を契機とした、日本の天皇と朝鮮国王の称号問題などは、一八七五年の森山茂理事官らの意見書を転機として、朝鮮国を独立国と認め、親交を基本とする交渉方針が確立された。一八八〇年以降交わされる国書には、日本側に強い対朝鮮優越意識が存在していたが、外交儀礼という点で日朝関係は対等化された。これは、清国と宗属関係にあった朝鮮を、外交儀礼から独立国として解放し、それを前提として不平等条約を強制するための方策であった。
質疑は大別要約すると、@日本で「陛下」の使用端緒、A朝鮮が「陛下」を嫌う理由、B日朝両方「陛下」という議論はあったか、C朝鮮通信使や対馬原藩に天皇の存在は理解できなかったのでは、D森山理事官らの意見書が日朝修好条規調印交渉へ連なると理解していいのか、E対等という扱いは宗属関係下における対日権益確保のための方策と理解していいのか、といった質問がなされた。石川氏は次のように回答した。’@江戸時代には使用されなかった(フロアーから「陛下」使用は律令時代からと指摘あり)、’A朝鮮国王は宗属関係から殿下に相当することになるため、’B一八九五年から確認できるが詳細は不明。’C今後の課題、’D森山らの意見書が転換点となったとして重視した、’Eそのとおり。
【嶋村報告】 嶋村報告は、アメリカ合衆国の対アジア政策から、日本の開国過程を再検討したものである。まず初代駐日代表となるハリスが来日以前におこなったシャムとの通商条約締結交渉が、対日条約交渉のモデルになっていたことが指摘される。次に、合衆国政府が、アジアで力の外交政策を展開していたイギリスの在香港貿易監督官バウリングの対日政策を意識し、逆に当該国風俗文化の知識を摂取したり、国際法遵守の交渉を強調するなどして、自らに有利な通商条約を締結しようとしたことが紹介される。そして、西欧諸国による対日開国政策も、対アジア政策全般のなかで理解するべきと結論づけられた。 質疑は大別要約すると、@民間人であるハリスを派遣した意味、A米シャム条約調印交渉の直前に成立したパークス協定をどう理解するか、Bアメリカの平和友好的なアジア政策が条文化されたという指摘は、実際の条文からすれば誇張的ではないか、などの質問がなされた。嶋村氏は次のように回答した。’@ハリス派遣は当初からの規定事項ではなく、またハリスを条約調印全権に任命した事実を重視したい、’A、ハリスもパークス協定の内容を意識していたが、バウリ ング条約のほうが本条約であるので影響力が強いと理解する’B誇張的な表現だったとは思うが、条約に平和的云々の言句挿入を要請したのはシャムや日本の側である、と回答した。
【全体討論】 全体討論は、三報告の内容にこだわらずにおこなわれた。大別要約すると、@非西洋国家体系の条約理解、A前近代システム(華夷秩序)の近代に至る展開、B変革期における国家のあり方(明治国家との関係)などに関して討論が重ねられた。
【コメント】 麓報告について。日本近世史研究や北方史研究の範疇でもっぱらおこなわれてきた幕末のアイヌ政策を、明治維新という問題認識の異なる範疇で再考したときいかなる意義を有することになるのか、我々は真剣に議論すべきことを痛感させられた。また、麓氏が疑問を呈していた、近年の日本近代史研究における国民国家理解の揺れについては筆者も同感である。国家システムの一つのあり方にすぎない国民国家を、近代を貫く絶対論理のようにいまだ考えがちな日本近代史研究者に対する警鐘として受け留めたい。
石川報告は、対朝鮮政策における外交儀礼の問題を通観的に捉えたという点で意義がある。しかし、日本側の視点だけで日朝関係を捉えているので、逆にいくつかの疑問が生じてくる。外交儀礼だけで日朝関係、さらに東アジアの国際体系が展望できるのだろうか。近代の朝鮮をとりまく国際関係は、日本や清国だけでなく、英米露などの西欧諸国も影響を与え続け、それが日朝関係にもフィードバックされてたからである。また、日本は体裁として朝鮮との関係を対等とみなすことで、韓国併合に連なる不平等条約を実質的に強制していったとする評価は論理が飛躍していると思われる。特に日清戦争以降の朝鮮は、ロシアに接近していき、手のひらをかえしたかのように、日本には強硬な外交態度を示し始めるからである。
嶋村報告は、指摘されることの少ないシャム(タイ)、中国と日本の通商条約の関連性を日本史研究者に紹介した点で意義があろう(この点はタイ史研究も同様)。ただ報告内容に関しては、米国務省の平和的対アジア外交を強調しすぎていたように思われる。当時の国務省などが強調していた平和政策とは、イギリスなど他の西欧諸国によるアジア政策を意識しその比較において主張された外交戦術なので、この媒介を見失うと全体の論旨にも影響しかねない。また、アメリカと三国(日本、中国、タイ)との条約問題を直線的に考えすぎているとも思った。確かに条約に相関関係が認められるが、締結交渉には各国との貿易事情などが前提問題として影響を与えており、決して同一のものではない。条約の相違点も認識しないと、条約締結後のアメリカと三国それぞれとの関係を説明しづらいのではないだろうか。
全体討論に関して、議論はかみあっていた。しかし、二日目のセッションは、共通の問題意識を前提として三報告が企画されたわけではないにもかかわらず、あえて共通する問題を模索しようという雰囲気が漂い、漠然とした議論になっていたという印象も否定できない。三報告がそれぞれ個別のもので必ずしも直接的な連関性がない、つまりかみあわない要素を含んでいるという点を明確にし、それを前提として共通する議論を模索するほうがよかったのではないだろうか。